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2017年8月11日 (金)

(産業経済)愛する力

演奏家が例えばその作曲家の一つのカテゴリーの作品群を全曲弾けるようになろうと努力するとき、たいていは一つや二つ、なんとなく苦手な曲、どうしても好きになれない曲が見出されたりするものだ。例えば、ベートーヴェンには32曲のピアノソナタがある。『熱情』や『悲愴』のような誰からも愛される作品には取り組む意欲が湧かないなどということはないだろう。しかし、それほど有名ではない作品の中には、「取り組む意欲がどうしても湧かない」というものがあるかもしれない。
これを「ベートーヴェンのピアノソナタの作品群の中には、演奏家をしてそれほど取り組む意欲を刺激しない作品もある」というふうに言ったところで意味があるだろうか。多分意味は無いだろう。ここは視点を転換して、「自分がその作品に苦手意識を持ってしまうのは、その作品を愛する力が足りないからだ」という見方をしたほうがはるかに建設的だ。
演奏家が作品の演奏に取り組む場合に限らず、企業内で従業員が仕事に取り組む場合でも、おそらく同じことが言えるのだ。企業内で働く労働者の中には、特定の専門職に張り付くような形態で仕事をするタイプの人もいるが、様々なジョブをマルチタスクで受け持つ形態で仕事をするタイプの人もたくさんいる。おそらく後者の形態で仕事をするタイプの人のほうが多いだろう。
そうすると、この様々なジョブをマルチタスクで受け持つ形態で仕事をするタイプの人にとって、「この仕事は好きだが、あの仕事はどうも気が進まない」という感触を得てしまうことは十分にありうる。この場合でも「自分がそのジョブに苦手意識を持ってしまうのは、そのジョブを愛する力が足りないからだ」という見方をしたほうがはるかに建設的なのだ。
このことを踏まえ、今度は職場で新人の部下などを会社から預かって育成することを担当している課長級マネージャーなどの立場に立って考察してみる。部下を育成する課長級マネージャーが留意すべき点は、様々なジョブにも愛する力をはぐくめるように部下を指導することだろう。逆に言えば、例えばスキルの有無や成果の量ばかりに注目するような、もっぱら企業経済の観点からのみ労務管理しても人は育たないのではないだろうか。

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