2018年5月28日 (月)

リカルドはシューイをするたびにちょっと

リカルドはシューイをするたびにちょっとずつ優勝から遠ざかる気がするんだけどそんなことない?

2018年5月27日 (日)

家庭菜園、進行中

里芋、山芋がイノシシ君によって全滅させられましたが
それら根もの以外の葉ものは順調の育っています。
すでにブロッコリーとレタス、ソラマメは収穫を終え、キャベツはあと3株ほど収穫残りとなりました。

鷹の爪、とうがらしです。
青いヤツは、冷やしソーメンの胡椒に風味がグーッ!
時期があとになると赤唐辛子となり、乾燥させて鷹の爪として各種漬物に使用します。
これが10株ほど育っています。

去年の10月末にタネを植え付け、半年以上もかかって育っているラッキョウ
ラッキョウ漬けに加工し、1年間食べられるようにと思っていますが、
これだけでは足りそうにありません。
もうすでに実験として、農産物直売所より1キロ購入し、漬け込んでみました。

そのラッキョウ売り場では9キロ漬けた!という猛者に出会いました。

今年の夏はビールが進みそうです!
ビールのお相手エダマメ
1畝うね見えていますが、実はあと1畝あるんです。
4月初旬、タネをポットにまき、芽が出てきたものをこの畑に植栽したものです。
ビールを飲もう〜!(

一番新しい4月末に苗をうえつけた茄子とキュウリ。
1カ月経過しないうちに、もうキュウリに花が
よく見ると、茄子にも花が咲きそうです。

まだほかに、生姜、カボチャ、ネギ、野菜ウリ、オクラなど
収穫を終え、畑が空きだしました。
また何か植栽しなければ

と言うわけで6話三回目。部長の愛も深い

と言うわけで6話三回目。部長の愛も深いと思うけど、牧の愛が深すぎるまじで牧は春田と幸せになってもらわなきゃ困る!!

2018年5月26日 (土)

ごめんなさい松斗瑛だった!間違えちゃい

ごめんなさい松斗瑛だった!間違えちゃいました、、

返信先そうですね、上がってきた中谷が活

返信先そうですね、上がってきた中谷が活躍して一軍を支えてくれると嬉しいですねサヨナラ最高

なぜかわかる?それは変態だからだよ。

日光東照宮あたりでブラブラしてます。

実のところ、日光東照宮ははじめてなのです。
聞くところによると、関東あたりの小学校の修学旅行は
ほぼ、日光だとか?

関西人のワシはそういうことでご縁がなかったのです。
しかし、気にはなっていたのです。
建物にあちこちに様な動物の木彫像があったりして
ちょっとした宝探しみたいとか言うじゃないですか。

子どもの頃にジィちゃんバァちゃんが旅行のお土産として
鬼怒川のペナントを買ってきてくれたんですよね。
それをながらく、部屋の壁に貼ってありましたよ。

ペナントブームに入りそうでしたが、そのあと、旅行好きの
じぃちゃん、ばぁちゃんらは何故かお土産が知名入り提灯に
なってしまい、ペナントはたった1枚だけ、鬼怒川のものが
飾られ続けたんですよ。

しかし、鬼が怒る川って文字を見るたびになんだかなぁと
子ども心に思ってたんですよね。
ちなみに関西人はどこへ修学旅行に行くかというと。
ワシの場合は小学校の修学旅行は伊勢でしたよ。
初日に赤福をお土産希望調査の紙が配られて
それに書き込んで出すと帰りに用意されてたんですよね。
小学生、全員がお土産で買って帰る赤福って
物凄い売上ですよね。

きっとそうやって修学旅行の初日に調査しておかないと
売切れたりするからなんでしょうかね。
今は昔と違ってお土産も多彩になってるでしょうから
そんな学校側が事前に調査するってことはしないんでしょうかね。

話を東照宮に戻すと、行く前までの動物の木彫り。
有名などこでは見ざる、言わざる、聞かざるとか眠り猫
なんかなんでしょうが、観光客が多いせいもあって、すいません
期待してたほど、ワシの心はときめかなかったのです。

もうワシの心の中の修学旅行魂が枯れてしまっているからでしょうか?
早く酒を呑みたいと思っちゃう不謹慎さがある限りはトキメキを
取り戻せないのかもしれませんね。
しかし、今こうやって画像を見るとなんかええですね。

わかったようなわからんなことをツラツラと書いてますけど。
まぁ、そういうコト専門のブログですんで、気にしないでくださいね。
さて、そんなワケで気にしない学園のポッチャリ修学旅行は
そろそろホテルへ移動します。

夕食の前にお風呂に入り、夕食後はまくら投げ。
豆球だけつけての告白大会とゴソゴソパーティー。
延長戦はニャンニャンパーティーです。
チャンネルはそのままで

あや、九州梅雨入りか早めに部屋キレイに

あや、九州梅雨入りか早めに部屋キレイにしないとカビるな

25日 夕食

発芽玄米入りごはん
チキンチーズフライ
ヒレカツ
ダイスサラダ on レタス
納豆
のり
カブ浅漬け
歩数
5298

2018年5月25日 (金)

聖書の話を身近な経験に置き替えてみました(87) 「わたしたちの親子関係は、神さまとわたしたちの関係に良く似ています」

聖書の話を身近な経験に置き替えてみました(87)
「わたしたちの親子関係は、神さまとわたしたちの関係に良く似ています」
 「そして父になる」という映画がありました。出生時に病院のミスで、子どもが他の家の子どもと取り違えになってしまいます。小学校入学時にそれが発覚し、そこから、登場人物たちは、親子とは何か、という大きな問いを抱え、苦しんだり、喜んだりすることになります。
 わたしたちは子どもが生まれた時点で、あるいは、子どもを迎えた時点で、親になります。けれども、それだけで、本当に親子関係ができたと言えるでしょうか。親子の深い絆、信頼関係が、ともに過ごす経験の積み重ねによって築かれるのであれば、親子になるには時間がかかるのかも知れません。
 しかし、もう一度考え直すならば、出発点から、親は子どもを育てようとしますし、乳児の場合そこにいる大人を最初から(無意識でも)親として位置づけているのではないでしょうか。つまり、親子関係は最初からあるとも言えますし、築き上げていくものだとも言えるような気がします。
 聖書では、神は「父」と呼ばれます。人間は神によって創られたからです。神からいのちを与えられたからです。ですから、生まれた時点で、神とわたしたちの間には親子関係があるのです。
 ところが、聖書をめくって行きますと、神の愛、神の心を受け入れる者は神の子とされる、というような表現も出てきます。わたしたちは生まれたときから神と親子関係であったはずなのに、あらためて、こういう形で神の子とされるとはどういうことなのでしょうか。
 わたしは、「神さま、いのちをお与えくださり、今日まで育んてくださり、まことにありがとうございます」と祈ります。神と親子であるという事態には、いくつもの場面があるのでしょう。この世に生を受けるという場面があります。育てられるとはとても長いプロセスですから、さらにいくつもの場面があるでしょう。病気を乗り越えるというような場面、学校に入学する、卒業するという場面、人と出会う、別れるという場面もあるでしょう。
 それに加えて、神の愛をはっきりと感じる場面、神の心に触れるような場面
神を信頼できると痛感する場面もあるでしょう。
 人間の親子関係同様に、神との親子関係にもいくつもの場面があります。いや、人間の親子関係の方が、じつは、神とのそれを映し出しているのかも知れません。
(ローマ8:14-16)

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